新たな「音楽体験Musikerleben」への道案内(第1回)

茂木一衛

Von Herzen―m?ge es wieder―zu Herzen gehn!
(心より出でて―願わくば―心に届かんことを!)
 L.v.ベートーヴェン


めざすは理論と実践の融合した体験

 さあ、旅の準備を本格的に始めましょう。と言ってもこれは当たり前の観光旅行ではありません。実現させたいのは、音楽の本質に深く分け入る、独自のユニークな旅。それが皆様にとってこの上なく充実したものになりますよう、少しずつ今回の音楽体験の内容について語っていきます。毎回、ゆっくり確実にお読み頂けたら幸いです。(文責及び著作権は茂木にありますので、無断転載などはご遠慮下さい。)

♪作曲者に思いを馳せて歌えますか
皆様とご一緒に体験したいこと、それは理論と実践の融合です。音楽史的・美的な知識、教養を身に着け、実際の演奏(歌唱)に生かしこれを深めること。…と書くと、「それじゃ、シューベルトは何という曲を作ったか勉強しなくちゃね、大きな声も出るようにしないと…」と思われますか?でもそれでは不足。いくら作曲者の生没年を暗記しても演奏に生かせなければ意味がなく、一方、どんなに大きな声が出ても、作曲者と作品への共感を伴い作品の価値を示せなければ、曲の本質に則した真の感動は得られない。だから両者はそれぞれに掘り下げられるだけでなく、融合しなければ…。だが「言うは易く、行うは難し」。大切なことなのでよくお題目には掲げられますが、難しいので実際にはほとんど行われていない。でも本気で音楽に何かを求めている人には、やりがいのある楽しい道行です。

 たとえば、あなたが《アヴェ・ヴェルム》を歌っている瞬間、モーツァルトがこの曲を書いた1791年の頃に、彼の晩年の生活に想いを致しているでしょうか。
 「そよ風が心地よい初夏のある日、ジングシュピール《魔笛》の作曲に軽い疲れを感じたモーツァルト。それを癒しに、繁華街グラーベンからちょっと脇に入り、ここペータース教会に立ち寄ったかもしれないわね。教会入口から内陣に進み、凛とした空気の中、正面の輝くばかりの祭壇を見上げる。すると彼の後部上方の聖歌隊席からミヒャエル・ハイドンの明るいミサ曲が自分を包み込むように響いてくる。ああ、リハーサル中なのだな…。ふとウィーンの森の中の街バーデンで療養中の妻コンスタンツェの笑顔が目に浮かぶ。…そのとき、彼女が世話になっている指揮者アントン・シュトルのために《アヴェ・ヴェルム》を書こうと思ったのかもしれないわね。歌い出しの、音程にして4度の上行と、続く半音階での表情豊かな下行旋律を着想して…」などと想像の翼を広げ…。
そしてさらに、歌うあなたは、「…natum de Maria…」の歌詞部分で、聖書の世界に入り、救い主の誕生の喜びをしみじみ感じているでしょうか。(少なくともそう感じているように演奏≒演技しているでしょうか。)
 それとも、何とか音が取れ歌えてよかったとホッとしているか、せいぜい正確な音程で気持ちよく声が出て満足、というところでしょうか。でもそれだけでは、この名作、この舞台設定は、何とももったいないですね。皆様には、しっかりした教養に基づき音楽の内面に目を見開いて、視野いっぱいにペータース教会の夢のように美しい内陣をとらえつつ、余計なことに気をとられず音楽とその場の空気の中に全身で没入していって頂きたいのです。

♪内面の充実のために
 そのために今回はシューベルトとモーツァルトの極めて内面的な作品を選びました。いろいろ悩みましたが、結局、派手な演奏効果は目指さず、あえて表現される皆様自身が曲の内側に静かに深く入っていける作品に決めました。受ける拍手の量とか劇的効果、外面的な成功よりも、思い切って、「表現者!になる皆様」が内面の満足を得られることと、たとえ聴き手が少数でも「心から心へvon Herzen zu Herzen」表現内容が内的に確実に届くことを願って。…選曲とは一定期間、参加者の精神生活を支配する芸術作品を決める大切な行為です。数々の試行錯誤、紆余曲折を経て、結局、両曲が浮き上がった次第です。
 …思えば今回も、海外での演奏準備のために、構想・企画から各方面との相談、選曲、海外の演奏場所・演奏形態そしてメンバーの決定、旅行社との何度もの打ち合わせ、連絡調整等々まで長い苦心の期間を要しました。そして皆様からの温かいご協力も頂いて、今ようやく全員でご一緒に、眼に見える華やかな活動に入ったところです。一心不乱に練習に集中していく時期に…。
 理論と実践の融合は難しいですが、音楽や芸術を全身全霊で体験し「真の美」を発見し人生を豊かにするには理想的な行為で、その実現には長い苦心の時間が必要です…。そんな趣旨をご理解頂き、夢の「融合」に向かってご一緒に確実に歩んでいきたいと思います。
 …彼方にめざすはプラトンの言う「絶対の美」。巫女で哲学者のディオティマがソクラテスに語った美と愛、私も講義でしばしば触れた、相対的で生成消滅を繰り返す個別の美ではなく「至上の美」を理想の目的に掲げて!

《ドイツ・ミサ曲》からの音楽体験――その1

♪シューベルトの世界に親しみましょう
 私がフランツ・ペーター・シューベルト(1797~1828)の《ドイツ・ミサ曲》D872と出会ったのは、もう大昔、高校生の頃でした。すでにシューベルトはもちろん、モーツァルトやベートーヴェンはじめクラシック音楽の主要作品もずいぶん聴き込み、実技的にも学生オーケストラなどで体験を積みつつあったものの、合唱の世界は経験が浅かったのですが、この曲はひどく印象に残り、何度も繰り返し聴いていました。その感動は大学に入って、合唱の黄金時代だったルネッサンスからバッハに至る名作の数々など知ってからも衰えず、たとえば同じように讃美歌風ながら高度な技巧を含むバッハのコラールなどよく知ってからも、《ドイツ・ミサ曲》への愛着は失われませんでした。
 これは今思えば不思議で、バッハの曲の、一語一語、いや一音ごとに、全部のパートが独立して動くよう緻密に作曲された世界がどんなに深い感動を聴き手や歌い手にもたらすか体験しても、《ドイツ・ミサ曲》の素朴な世界から受ける印象は変わらなかったのです。 ここから「巧みさ」とか「複雑さ」、いわゆる「論理性」が音楽的感動と直結するわけではないことがわかり、またシューベルトや《ドイツ・ミサ曲》の独特の特質ゆえに心を動かされるのではないかと推測されてもくるのです。その特質とは何か、これからシューベルトの人と音楽について学び、このミサ曲の1曲ずつをじっくりと歌い込みつつ、明らかにしていきましょう。

♪まずは新鮮な第一印象から
 その前にまずは、CDやネットでこのミサ曲の全体を、歌詞の対訳などもちょっと見る程度で軽く聞き流してみましょう。すると、それだけで「何てきれいな曲なんだ!」と実感されてこないでしょうか。
 …1曲めが始まるとまもなく短調に傾斜し、シューベルト節(ぶし)の洗礼を受けハッとする。力強く華やかな2曲めの賛歌に続いて、落ち着いた語りのような3曲めを受けるのは、「大いなるもの」に話しかけるかの第4曲。もっとも有名で独立しても演奏される第5曲の神秘的な美しさを経て、第6曲の天上の美を思わせる世界に出会うと、ミサ曲の懐深く入ってきたことを実感する。ここから、心地よく揺らぐ8分の6拍子の第7曲に至るくだりは、全曲の静かなクライマックス。単純な音楽構造なのになぜかくも深く人の胸を打つのか、ここに、シューベルト作品に共通する美の本質をみる思いがします。そしてミサを終える第8曲、印象深い典礼を経ての心の平安、幸せに弾む気持を持って実生活へと帰っていく…。なお、「主の祈り」では短調ながら流暢な言葉で絶対者への語りかけが行なわれ、最後の長調に変わるところも、いかにもシューベルトらしい音楽です。
 どの曲も単純極まりなく素朴なのに珠玉のようで、全体として信じられない美しさが形成されています。何の派手さも巧みさも要らない、自然にそこにあるだけで、人生の幸せを実感させてくれる音楽とはこういう曲を言うのではないでしょうか。

♪ドイツ語発音は難しいですね
 さて本当に内的体験をするにはもちろん演奏という実践も重要です。でも実践は現実です。音取りから歌詞の発音まで現実は厳しい。そうなるとご一緒に「泥にまみれる」局面も必要。評論家が理想論を言って終わるようなわけにはいきません。…音取りが易しい曲を選んだのは、今回はアマチュアの方々が大部分なので負担の軽減を考えてのことでもあります。そして発音の問題、ウィーンの教会で歌うので宗教曲、その多くはドイツ語やラテン語なので、何を歌うにしても言葉で苦労するだろうことはわかっていても、いざ目の前に楽譜が出てくると、さて困ったというところでしょうか。ここが苦労の為所(しどころ)ですね。
 私はドイツ語が専門ではありませんが、結論から言えば、拙くても私の発音を真似て頂くしかないと思っています。というのも、ドイツ語授業などで習う話し言葉と、合唱やドイツリートなど独唱の歌詞では、細かい点で発音に違いがあるし、ドイツ語が母語の人でも、方言など含め個人差、地域差などあるためです。
 ですから今回、かなりの練習回数も設定しています。練習参加がとても大切。私が発音したら、即座に、下手でもとにかくブツブツつぶやき、積極的に口からドイツ語を発してください。慣れてくれば、音楽的で発音しやすい言葉です。(私には英語やフランス語の発音のほうが難しい。)
 また発音がきれいな歌手の歌を繰り返し聴くのも効果的。合唱だと人数が多いので発音もぼやけますが、独唱だとクリアに言葉がわかります。言葉の意味もしっかり表現している歌手、たとえば、少し古いですが女声ならE.シュヴァルツコップ、男声ならD.フィッシャー=ディースカウなどの歌を、歌詞対訳を見ながら聴けば良い勉強になります。特に、シューベルトが《ドイツ・ミサ曲》とほぼ同じ時期に書いた名作歌曲集《冬の旅》をディースカウで繰り返し聴けば、発音は極めてきれい、この上ない芸術体験にもなり、《ドイツ・ミサ曲》理解にも役立ち、一石二鳥、三鳥ですね。
 それとも他の曲や独唱まで聴くなんて回り道、と思われますか。でも歌詞の原文を見ながら何度も聴くのは、綴りと発音が直結して大変よい勉強になります。私も学生時代、声楽のレッスン以外にもLPが擦り切れるほどにリートなど聴いて、それがある意味、自分が歌詞表現するための王道になったように思います。
s本番で歌うその瞬間まで、きれいな発音をめざして努力していきましょう!  (続く)

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