新たな「音楽体験Musikerleben」への道案内(第2回)

茂木一衛

めざすは理論と実践の融合した体験

 ♪まずはウィーン――音楽道案内文をご紹介します

 前回の道案内で、今回の旅行の基本的な性格を、主に歌唱体験に関連させつつ述べました。
今回の音楽体験は、狭い意味でのいわば「旅先での声出し体験」に限りません
。私たちはヨーロッパの精神の核心とも言える歴史あるカトリック教会で、ヨーロッパの芸術が達した最も優れた世界を、しかも「表現」しようとしているのです(本場で聴くだけだって大変なことなのに!)。

 皆様がこれから体験することがどれだけ重大なことか、身ぶるいするほどのことか、今、十分に感じていらっしゃるでしょうか。
聖ペーター教会の祭壇前に立ってその雰囲気に圧倒され卒倒(気絶!?)してからでは遅いのです。
と言って緊張を跳ね返すべきなのではありません。
ヨーロッパ芸術文化を「表現者」として響きにするために、まずは自分なりにこれに深く共感し受け止める努力をしましょう。
それは苦しいものではなく感動に満ちたものです。そのためこの道案内の連載では歌唱曲の解説などと並行して、音楽の道案内もいたします。

 そこで、まずは皆様全員が訪れるウィーンの道案内から…、と思っていて、ふと気が付きました。
実は数年前にこれに格好の案内文を書いていました。
音楽の教科書を執筆していた関係で、その教科書会社の機関誌の一つに、小中高の先生方向けの紀行文を書いておりました。
公開されているので、以下にアクセスして頂けば読めます。教育出版―音楽のHP中の「音楽の小部屋」の中にある「『音楽の真実』を求めて――時空を越えるウィーン旅行記」という連載記事です。

https://www.kyoiku-shuppan.co.jp/docs/music/kobeya/column/column002/index.html

 これは百年後に生きる二人の、ウィーン旅行体験記です。
悠美と光介と言えば、私の講義でもときどき話題にしていますので、「あ、あの二人ね」と気づかれる方も多いはず。
音楽の都の名所を物語中に散りばめてのラヴ・ストーリー!?です。
もちろん聖ペーター教会の場面も出てきます。と同時に、音楽とは何かという音楽美学の根本的な問題に言及し、各所で実際に響きが聞こえてくるかに書いています。
皆様にはぜひこれを読んで頂き、まずは空想の世界でウィーンを音楽散策してください。
でもゆっくり読んでください。斜め読みしたら全く意味がありません。
文中に登場する名所の一つ一つで立ち止まり、ガイドブックを開いて景観を確かめ想像し、そこで響く音楽をCD等で聴き、シューベルトやモーツァルトの世界にじっくり身を置き、音楽文化を深く味わいましょう。
それは実際、リアルに現地に足を踏み入れたときに役立ちましょう。
そしてもちろん聖ペーター教会での歌唱に直接間接に大きな影響を与えるはずです。
理論と実践の融合として。…後ほど、皆様それぞれ読んでのご感想など楽しみに伺うつもりです。

♪実は私も必死です…
 実は私も必死なのです。
なにしろ皆様のほとんどは音楽のアマチュア。それをこんなに大勢お連れしてヨーロッパ精神文化の本拠地で、しかもその根源に触れる音楽を表現するというのですから。
その演奏に責任を持たねばならないのですから。練習不足の、いい加減な歌では、ヨーロッパの人々の心の拠り所、美しい聖地に土足で乱暴に踏み込むことになりかねません。
そしてそれを先導した人間になってしまいます。

 そしてこれが、ある意味で最も大切なのですが、練習不足とは技術的なことに限りません。
深い教養やその音楽に対する共感があるかないか、そういう精神面もまた声に表情に表れるもの、聴き手に不思議にはっきり伝わるものなのです。

…もちろんこれまでも私はウィーンのシュテファン大聖堂、ライプツィヒの聖トマス教会、ヴェネツィアのサンマルコ大聖堂、そしてパリのアンヴァリッドなど信じられないような聖所でコーラスやオーケストラの指揮経験を積んできましたが、1回1回が困難で新たな体験でした。
今回の参加者の中にも何度も私とそのような体験を共有していらっしゃる人がいます。
逆に、今回が私と初めての体験という人もいらっしゃいますね。
その方々には、おそらく困難さ、実現したときの心の奥底からの喜び、感動など、まだ想像するのも難しいと思います。通常の国内での音楽活動などとはほとんど別次元のことなので。

 とにかく皆様には、私を信じて国内練習から指示、注意の内容をよく守り、余計なことを考えず練習内容や、理解すべき内容に専心し、自分自身の教養、技術の向上と音楽づくりにこそ集中努力してください。
それが何よりの旅の深い感動に通じているはずです。

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